絵を描く衝動は、誰にも眠っている
友人家族10名ほどに遊びに来ていただき、大磯アートハウスのオープンを祝っていただきました。このように集っていただけるなんて、本当に幸せだなあ、と感謝の気持ちしかありません。遠方からお越しいただき、何よりも大磯を満喫、よろこんでいただけたようで心からホッとしました。
おとなもこどもも一緒になって、ミニワークショップをおこなわせていただきました。多くの方が、
「中学生以来、絵を描いていない」 「何を描いたらいいのかわからない」 「まさか自分が絵を描くなんて」
という状況でしたが、画像の作品をご覧いただくと、よく分かるのですが、みなさん独自の方向へ手が止まらずにひたすら描き続けました。ちぎって立体になったものもあります。
〈絵を描く衝動〉というものは、本来とても根源的で、誰もが心の底に持っているものだと思います。しかし、学校教育や社会の仕組みのなかで過ごしていると、上手・下手などの比較評価の対象になってしまい、本来の〈楽しみ〉〈喜び〉から遠いものになってしまいます。それが、「何を描いたらいいのかわからない」原因だと思います。また、競争の中で「上手に描かなくてはならない」というプレッシャーも大きいのだと思います。
でも、その障壁を取り除いていくと、必ずみなさん、あふれるように描き始めます。〈楽しい遊び〉にはエネルギーが尽きないからです。描いていると手が止まってしまうことも多くありますが、距離や角度を変えてじっと作品を見つめていると、必ず呼びかけてくれます。自分の制作の場合、何日間かただ眺めているだけのときが多いです。
また、描くことは一見、非生産的なことに見えるかもしれませんが、本来、生産的なことは〈発想、アイデア〉を具体化して、現実に落としこむことで、初めて行為になります。描くことは生産的なことの大元になる〈発想、アイデア〉の思考回路を育てることなのです。ですから、生産性よりも上位の価値があります。
日本の社会のシステムが硬直化し始めて、人間を置き去りにして暴走しているので、多くの方が行き詰まったり、生きづらかったりしている世の中だと思います。でも、絵を描くのと同じで、その状況を、一歩引いて、いろいろな角度から眺めているとたくさんの抜け道があることが見えています。〈表現〉することは、その抜け道を見つけ出すツールを得ることになるのです。
ですから、特に子どもたちには、何らかの表現手段を身につけてもらいたいと思っています。
こうして、集ってみんなで描いてみると、本人とお会いするだけよりも、心に直接触れられるようで、より深い理解と信用が生まれ、お互いに繋がれるように思います。年齢も立場も関係なくみんな対等、驚異のコミニケーションツールでもあると思います。
毎回長くなってしまいますが、読んでいただいてありがとうございます。